自分を知って無理をしないで楽に暮らす

人は環境や経験によって作られます。自分がどのような人間なのか、自分を知って、今の自分にできることを見つけ、生活を楽しみたいです。

みかんの皮を剥くのが面倒な理由 面倒と大変の違い

夫に、

 

みかんを買って来たら食べる?

 

と聞かれて、

 

皮を剥くのが面倒だから食べない。

 

と即答した私。

 

それなら、

皮を剥いてあげたら食べる?

 

と聞かれたので、

 

それなら食べるかな。

 

と私。

その翌朝、起きたら、

皮を剥いたみかんが

テーブルの上に置かれていました。

 

その後も、

夫はみかんを買って来ると

約束通り、

皮を剥いてくれたのですが

ある時、

夫が買って来た、

2Lサイズのみかんを見た瞬間、

 

これなら、皮が剥ける!

 

と思いました。

 

私は手根管症候群のせいで、

両手の親指の付け根の筋肉が

すり減ってしまい

指で小さな物をつまむとか

袋を開けるとか、

瓶の蓋を開けるとか、

細かい作業や、

手に力を入れることが難しいです。

 

小さなみかんは食べやすいけれど

皮が薄いので、

私は剥くのに苦労していました。

けれども、大きなみかんなら

皮も厚いし、剥くのは楽。

 

私は、みかんの皮を剥くのが

面倒だと思っていたけれど、

実は、みかんの皮を剥くのが

大変だっただけ。

それを、面倒という言葉に

すり替えていたことに

気づきました。

 

考えてみると、

りんごの皮を剥くのも面倒だと

思っていましたが、

これも、包丁を使って

皮を剥くのが大変なだけ。

甘栗も、指に力が入らなくて、

皮に切れ目を入れるのが

大変だっただけ。

他にも、面倒だと言いながら、

実は、やるのが大変なことが

ゴロゴロ出て来そうな気がします。

 

面倒だと言うよりも

大変だと言う方が

相手の自分に対する心象が

良くなるはずなのに、

どうして、

面倒だと言ってしまうのか。

 

面倒なことなら、

自分の意識さえ変えれば

できるかもしれません。

けれども、

手術をして9年経っても

筋肉が戻っていない

私の手ができることには

限界があります。

 

それならば、素直に大変だと

言えばいいのですが、

意地っ張りな私は

心のどこかで、

自分にはできないと認めるのが

嫌だと感じているのではないかと

思います。

 

どうせ、できないのなら、

面倒だと言って

怠惰に思われるよりは

手が不自由なので大変だと言って

同情される方が

まだ、いいのかなと思います。

 

そういえば、

片手でコップを持てないので

両手で持って飲んでいたら、

その持ち方可愛いと

言われたことがありました。

手根管症候群だからと言って

嘆くことばかりではありません。